エルヴィス・プレスリー人生最後のシングル盤<ウェイ・ダウン>は、アルバム『ムーディ・ブルー』に収録されていた楽曲だ。<ウェイ・ダウン>はエルヴィス他界の直前1977年7月リリースされたものであった。”快調エルヴィス”のコピーがいまとなっては痛々しい。このアルバムからは表題曲の<ムーディ・ブルー>もシングル・リリースされている。
つまり<ウェイ・ダウン>は曲の素敵以上に、エルヴィスへの惜別の思いが集められている。『30〜#1HITS』で初めてエルヴィスに接する方、あるいは初めて<ウェイ・ダウン>を耳にされる方は、そのあたりの事情を考慮して聴いていただくと嬉しい。
先日Pinkが日本でライブを行った。「ラップ、ロック、パンク、R&Bなどジャンルにこだわらない、私のジャンルは”フリーダム”よ」と明言する彼女のスタイルは見ていてエルヴィスに通じる。ステージで仰向けに寝て歌うスタイルも、エルヴィスがやってのけたことである。
そのパワー溢れるステージとソウルフルな声と表現、オリジナル性は、エルヴィスの若い姿を思い起こさせると同時にエルヴィスの革新性の凄さを感じさせた。エルヴィスは彼女のやっているようなことを当時たったひとりでやっていたようなものなのだ。-----『すべてはエルヴィスから始まった』
すべてはエルヴィスから始まって、ロックンロールのヒーローはシングルレコードの歴史を可能性を最大限に切り開いたと言っても過言ではなく、キング・オブ・ロックンロールはまたキング・オブ・シングルレコードであり、その最高最大のヒーローでもある、エルヴィスのキャリアはカントリーをブラッキーなビートとソフルフルな声で包んだロックンロール<ザッツ・オールライト>で花開き、やはり同じくキング・オブ・ロックンロールにふさわしいシングル盤<ウェイ・ダウン>をもって終わった。エルヴィス・プレスリーお得意の両面ヒットだった。
Hey、おまえが近寄って
明かりがどんどん暗くなる
通気孔を抜ける風の音が
おれをこんな気持にした
おれの中の抵抗力は
床の上に散乱し
今まで味わったことのない
不思議な気分にさせられる
*Oooh-oh、感じるんだ(感じる)
感じるんだ(感じる)、
感じるんだ(感じる)
**ずっと奥の音楽が聞こえる場所
ずっと奥、まるで津波のように
ずっと奥の炎が燃える場所
ずっと奥、(ずっと奥深くで)
Oooh、頭がクラグラするよ
君に呪文をかけられて
百本もの魔法の指が
回転木馬のように回⊃てる
それでも気分は治らない
医者は薬もくれやしない
愛が作用してるようだけど
うまく言葉にできなくて
*くり返し
**くり返し
もう一度、力ー杯だきしめて
たまらなく君がほしいんだ
ずっと奥の気持ちのいいところ
ずっと奥、それはおれが望んでた場所
ずっと奥、でもそれは絶対に無理
ずっと奥、(ずっと、ずっと奥深く)
エルヴィス映画の一場面を見るかのように、エルヴィス・プレスリーの個人的な生活のある部分に対する同情的な解釈が<心の痛手><マイボーイ>などその他いくつものパフォーマンスに見られ、それらが、エルヴィスの破滅とオーバーラップされて、曲における表現力と個人的問題の混乱がいつまでも終わることなく続いていくが、個人的にはそれに終止符が打たれる日のくることを願っている。
エルヴィス・プレスリーの人生におけるおバカな失敗(一般的には)とその仕事とは全く別の問題であるはずだ。
エルヴィスは自分を切り売りしていたのか?そんなことはあるまい。もし、エルヴィスが大観衆の前で泣くように歌っていたとしたら、もしエルヴィスがバンドの前で泣きながら歌っていたとしたら、考えてみても寒々しいことだ。同情的な解釈によって、曲が素晴らしさを伴っているなら、それはアーティスト、エルヴィス・プレスリーへの愛情ではなく、最大の侮辱でないだろうか。エルヴィスは恋の切り身を歌っても、自分を切り売りなんかしていない。自身の個人的な問題と楽曲は別の次元のことであるのは当然だ。
なにより幸福を歌った楽曲の存在には触れずに、同情的な解釈をたやすくする曲が特別にとりあげらるのは矛盾である。
アル・パチーノが映画の中で銃弾に倒れても実際は街を歩いている。もしアル・パチーノが撮影の打ち上げと共に天に召されたら、銃弾に倒れたと信じ、彼はギャングだったと思うかも知れない人も出てくる。
エルヴィスの作品には、本来ならすぐにでも分かる矛盾がまかり通ってしまうのが無理ないほどリアルな感情移入ぶりが仮想の表現の限界を軽々と突破すると同時にリスナーの分別も突破している。これこそエルヴィス・プレスリーの真骨頂である。自然な演技が俳優にとって最高峰のものであるなら、ミュージシャンにとって自然に思える表現も同じくそれである。アーティスト・オブ・ザ・センチュリーと呼ぶにふさわしい、あるいはキング・オブ・ロックンロールにふさわしい力である。
いつからか人生への熱意を失い努力をやめたと思わせるそれが晩年のステージ風景のいくつかに記録されている。コンディションが悪いだけだったかも知れないが、それを理由にするにはかなり困難と思えるものがある。しかし、それでも尚、エルヴィスは素晴らしいことに、考えられないような成果を遺した。人生への熱意を失い努力をやめた人間にはこんなことはできないだろうと思われる表現がいくつも見られる。それが自身の痛みから表現されているに違いないと思うに十分なほどリアルで迫力に満ちたものであるために、同情的な解釈に至る大きな原因のひとつになっている。
もしかしたら、エルヴィスはビートルズ以降の音楽シーンに世界観が変わるほどに嫌気がさしていて、
あるいは自分のレコードを買わずに、そっくりさんのステージに熱をあげる自称エルヴィス・ファンに嫌気がさしていて、その救われないイメージダウンに対抗して、そうでもしなければ自分の芸術は分からないと思ったのかも知れないと思うことさえある。それはともかく、エルヴィスは音楽に対する哲学と自分の能力を信じていたのだろう。それに匹敵するだけのプロとしての自然な精進が、エルヴィスの哲学に裏づけされた独自のやり方であったはずである。
努力をやめた後もエルヴィスはいくつもの限界突破をやってのけたが、そのパフォーマンスはエルヴィスの音楽への態度を示唆しているように思える。
現実の生活から投影された自分の中のもうひとつの「仮想の現実」、そこにいるもうひとりの自分から歌われる魂の歌。<心の痛手><マイボーイ>はエルヴィスの個人的な理由による表現ではないが、「仮想の自分」から歌われたものに違いないだろう。
仮想をよりリアルに華のあるものにするためにエルヴィスは他のミューシャンのパフォーマンスの技術をするどい観察力で耳を傾け、それを見抜き、加工するセンスを日常的に無意識にくり返し磨いていたのだろう。エルヴィスには、生きてることが努力そのもの、365日まるごとミュージシャン、エルヴィス・プレスリーということだったかも知れない。それはある種の人からすれば努力の種類でないように評価されるものでないかも知れないが、エルヴィスにはTHAT'S THE WAY IT IS! 決まっているじゃないか!それが芸術だぜということだったのかも知れない。それは最初の成功のきっかけだったかも知れない。
ステージが終わり、ホテルの部屋では女性とドラッグをやりながら、戯れもしただろう。
しかしだからといって彼の感受性、優しさに嘘があるわけでなく、それもエルヴィスの場合には芸の肥やしであったかも知れないと思わせるに十分な成果を遺しているのだ。
エルヴィスは歌うのが仕事であり、どのように人生に嫌気をさしていたとしても、録音という仕事に向かった時に、エルヴィスはその時々に於ける誠実さと可能な限りの情熱で取り組んだ。もし、ありえることなのだが、それが可能な限りの情熱が払われていなかったとしたら、それはますます凄まじいほどの力量が存在したことの証明である。
<心の痛手>が失望から歌われるなら<バーニング・ラブ>は乱痴気から歌われたのかもしれない。しかし実際には<心の痛手>と<バーニング・ラブ>はプロのアーティストの同じ次元から歌われたはずだ。<約束の地>と<マイボーイ>も同じ次元から歌われたものでしかない。それらはすべてエルヴィスのプライベート・ルームから誕生したのではなく、エルヴィスの芸術と呼ぶにふさわしい活動から誕生したものである。たとえエルヴィスがわがままにスタジオを動かしたにしても、エルヴィスは独裁者でもなく、グレイスランドの録音ですらも、そこはプライベートな空間ではなかった。多くのミュージシャンや技術者と空間と時間を共有しながら仕事場に於いて制作したものである。
そこでは、咽の調子が不調でも、体調が悪くても、精神的に気乗りしなくても、マイクの前ではプロフェッショナルとして立っていた。その仕事はどれもその名に恥じないものばかりか、時に修羅のようである。
Hey, you're gettin' closer
The lights are goin'dim
The sound of the breathe
T Has made the mood 'm in
All of my resistance
Lying on the floor
Taking me to p[aces
I've neve been before
*Oooh-oh and I can feel it (feel)
Feel it(feel), feel if (feel), feel it (feel)
** Way down where the music play
Way down Iike a fidal wave
Way down where the fire play
Way down (way on down)
Oooh, my head is spinnin'
You got me in your spell
A hundred magic fingers
A swirling carousel
That didn't soon soothe me
Doctor couldn't prescribe
Love's doin' somethin'
But I 'ust can't describe
* Repeat
** Repeat
Hold me again, tight as you can I need you so, baby let's go
Way down where it feels so good
Way down where I hoped it would
Way down where I never could Way down
(Way on down, way on down)
アルバム『ムーディ・ブルー』は遺作となったが、すでに前作アルバム『メンフィスより愛をこめて』がそうであったように、体調も悪く録音への意欲が失せていた。そのためにこのアルバムはスタジオ録音だけでは曲数が不足するため、ライブの音源を集めてようやくアルバムとした完成した。
当時、このアルバムは『ムーディ・ブルー』に因んでブルーのレコード盤でリリースされた。したがってレコードは青と通常の黒が出回った。アナログ音質にこだわった復刻盤として登場した国内企画の紙ジャケットシリーズではブルーのCDになっている。